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2010年05月06日

ヒト:押忍  見守る愛

よくあるいつもの風景。

次男がDSで遊んでいます。
ポケモンの、なんとかいうソフトです(私はイマイチよくわかりません)。

横で長男が茶々を入れています。

「ちゃうって!そこでそーするんじゃなくて、ああ!もう~ヽ(`Д´)ノ」
「そうしたらあかん、って言ってるやん、何回言ったら分かるの!?もうっ」

次男はすごく迷惑そうな顔をしています。そしてそう言ってもいます。

「もー、いいやん!ほっといて!」

でも、長男はせっかく教えてあげてるのに!と不満そうです。

ま、いつものパターンです (´-`)

こういうとき、私はいつも長男にこう言います。

「なー、もう好きなようにさせたりーな」
「あー、そうやったら失敗するのに、あかんのに、と思って教えてあげたくなるんやろうけど、トモくんも自分の好きなようにやってみたいねん、失敗してもええねん。いろいろ自分で考えてやってみたいんねん。」
「ほんでな、あーもう、わからんから お兄ちゃん教えて、って来たら教えたげて。」
「それまでは見てて、あーもうイライラするぅ、てなるかもしれんけど放っといたり。」

ねー、いいこと言ってるでしょう? ( ̄^ ̄) えっへん。

でも、自分はそうできてるかというと全然そんなことないんですよ。
子供に対してはもちろん、大人同士の人間関係の中でも(口に出してはいわないまでも)、ああもう、なんでこうせーへんのやろっ!!とぷりぷりしていることが多々あります。

でも、本当に大切なことは、「それが今できること」ではなくて
「できるようになるための過程を本人が自分で試行錯誤して進むこと」なんですよね。

そうでないと、いくら結果としてはできていて
教えた本人は「うむうむ」と悦に入っていても
やった本人は、きっと不完全燃焼というか、いまいち納得がいかないんですよね・・・・
いらぬ口出しは、口出しする本人が満足したいためのものなんでしょうね。

「どーしたらいいの、教えて!」

と言われてからアドバイスすればいいし、
それまでは、見守るだけでいいんですね。


実は、先日ブログで紹介した心屋仁之助さんのサイトで、無料ダウンロードできる資料を見ていたら、よがふくさんという方が主催、かめおかゆみこさんと心屋さんが講師として開催されたワークショップに先駆けてブログバトンという形で書かれた内容を再編集した「魔法の言葉.pdf」という資料があってですね
資料はここから(ページの一番下にpdfへのリンクがあります)
この中で、よがふくさんが書かれてた内容が、今回の話と同じだなぁーと思って。

あなたが 「ダメだなぁ」 と 思う人でも その人は その人のペースで自分を磨く 過程 を 歩んでいるのですから あなたが 先に そこを通過したから といって わざわざ 「ダメだなぁ」 と言う必要は どこにもない ということです。

(中略)

あなたが 座っている人に
「そろそろ 歩き出したほうが いいよ」 と
無理やり 手を引こうとすることはただの おせっかい なのです。
座っていることが その人が 今 したいことであり またその人の過程 なのです。

自分が いい と 思うことは
「自分にとって いいこと」 であり それが
「相手にとっても いいこと」 なのかは わからないのです。
「自分ひとりでは 歩けないので 助けてください」
そう言われたとき 初めて 手を引いてあげたら いいんです。
それまでは 相手のしたいことを尊重して 見守っていればいいのです。
痛い思いをする と わかっていながら 見守る愛もある ということです。


これを読んで、

「あはは、私、ちゃんと子供には言ってるやーん♪」

と少し得意になったあと

(゚m゚*) はっ・・・・・

「自分はできてないわぁー orz」

って気づかされました。

気づくと、なんというかショックとか恥ずかしさとか情けなさが入り混じった複雑な気持ちになったんですけど・・・・
見なかったふり、気づかないふりをするのはもうやめようと決めたので。
そんな自分もちゃんと見ようと思います。


気づくことから変わります。
どんなちいさなことからでも、きっと大きな変化につながると信じて。



▽▲▽ ばんごはんはネ ▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲



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